経験者の知識

2011年3月15日

西宮市議会議員 今村岳司氏のblog
2011/03/13エントリーから引用。
http://xdl.jp/diary/?date=20110313


できればこちらから全文を読んで頂きたい。
どんな場面においても、経験者の知識は非常に大切。
被災地ではない私たちに何ができるのか。→個人は無力だと知ろう。
義援金による金銭支援、そして事態が落ち着いてからの様々な継続支援が大切だ。

今被災地に必要なのは、プロだけである。



あの恐怖と屈辱は、記憶よりさらに奥に刻みつけられてしまっている




悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。

ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。

彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。
彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。
そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。
何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして
彼らを追い返してくれました。
彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。

ひとつは、「家が焼けただけでしょ?」と私に言った大学教授のこと。

震災後しばらく経って、避難所を少しはあけても手が足りるかなと思ったころに、
大学に試験を受けられないと説明にいくために、京都まで出向いて教授を順番に廻りました。
ある教授はこういいました。
「ペンと本があれば勉強できるわけだし、もう電車も復旧しているから、
 試験も受けに来れるはずでしょ?家が焼けたからと言って、ねぇ。。」
研究室でものを投げ散らかして軽く暴れたあと、彼に
「おまえの家が焼けてもペンと本があれば授業をするんだな?」と言って帰りました。
部屋を出たあと、暴れたのは、目の前の豚を殺したかったからではなく、
被災者以外が被災者のことを理解してくれるのではないかと期待した自分の愚かさに、
腹が立ったからだとわかりました。


(中略)

「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」
と友人に訊かれたので、こう答えました。

まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で
アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。
統制もとられておらず装備もなく訓練も受けていない「ボランティア」は
ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。
自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。
しかし、手ぶらのボランティアは、
被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、
被災者が寝るべきところで寝るのです。
完全に現場指揮に従うのであれば、
しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、
行ってこればいいと思います。

次に、要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、千羽鶴と同じゴミです。
「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。
水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。
現場に何が必要かを理解しているのは現場のプロだけです。
「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、
ぜひ送ればいいともいます。

そして、ぜったいにこちらから安否確認の通信をしないことです。

安否確認したいのは被災していない側です。
被災していない側が安心したいだけです。
安否確認などされても被災者には何の益もありません。
安否確認で電話することは、
通信が復旧しきっていない情況で、
被災者でない側が安心したいがために通信を使用する行為です。

要はプロに任せることです。
16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、
そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、
ほんとうに嬉しかったです。
彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。
彼らはプロとしての技術を持っていましたし、
彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした。
被災地に必要なのは、プロだけです。



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